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あれから1年 [生活]

3月11日。東日本大震災から1年が経ちました。

当時、私は都内の自社(五反田)にいました。
1発目の揺れが来たとき、これはでかいと思って机の下に避難。隣の席の課長は、棚から転げ落ちてきたヘルメットを手にしていました。揺れが収まったところでPCの電源を切り、周りにも同様の指示を出し、実験室の半田ごて等を確認するように指示をしました。そしてまもなく2回目の揺れ。

安全ボケでしょうか。
私と他何人か以外は、そのまま仕事を継続しようとCADに向かっていました。
のんきなものです。

避難訓練は定期的に行われています。
職場防災隊というのも設定されていて、フロアごとに「避難誘導係」等の役割も決まっています。
しかし、その人たちは何もできませんでした。

総務(防災センター)からの放送もかなりたってから。
私はすでに安全を確保し、身の回りを整地して、ハンディ機を消防無線の周波数にセットして、いつでも避難できるようにしていました。

結局、そのときに第1声を出せる人って限られているようです。
今までのいろいろな経験から、非常時にリーダーシップを取れる人はほとんど居ません。
職場防災隊も機能をなさず、総務も「危険だから帰ってください」と言うだけ。責任逃れとも見える対応。
山手線は目の前で止まっていました。

歩いて帰った人もたくさん居ます。
でも、私は町田まで歩いて帰るのはかえって危ないと思い、親会社のビルへ移動(徒歩20分)する事にしました。そこには自社のサテライトもあるし、衣食住は確保されているし、ビルも新しいからです。自社ビルは古いので、その危険性はわかっていましたし。何名かに声を掛けて、その夜はオフィスでTVを見ながら状況を見守りつつ体力温存に勤めました。


あなたは有事のとき、第1声を上げられますか?
瞬間的に状況判断し、最善な行動と指示ができますか?
※できない人、自信の無い人は、何もせず指示を待つのが最善です。



最後に。
1年はあっという間でした。
この1年の間に、当時の意識も薄れていることでしょう。
被災地はまだ復興が始まったばかりの状態です。
フクイチも予断を許さない状況が続いています。
震災で亡くなった方々に黙祷をささげつつ、このような震災が二度と起こらないように祈ります。

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JK1FBA

昨年の3.11のときは自宅で仕事をしていて休憩で自分の部屋にいたときでした。(いろんなものが落ちてきてガラスも割れるかと思いました)

今まで経験したことの無い揺れに..ついに来たか!と思いました。

自分の安全を確保した上で考えたことは母が世田谷に出かけていてちょうどこちらに向かって帰ろうとしていた時間だったので、電車の中ではないかということ、それが心配でした。ケータイが通じないもののIP電話から発信したところauのケータイに繋がって、タクシーに乗っていること、駅まで乗るつもりだったけれど、そのままタクシーで自宅まで戻るとのこと あっという間に帰ってきました。

ある意味幸運でした。

ただ、平常心を持っていろというほうが無理な状況でしたね。
by JK1FBA (2012-03-11 18:06) 

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