42歳の誕生日に開局当時を思い出す [アマチュア無線]
8月25日、今日は自分の誕生日。
気が付けば42歳になってしまった。
ふと、20数年前の出来事を思い出したので書いてみよう。
それは高校1年の夏。ひょんなことからアマチュア無線の免許を取ってみたくなった。
無線をやりたくてとるのではなく、免許を取ってみたかったのだ。
以前より電子工作が好きだったので、初ラやラ製はよく読んでいた。小遣いのほとんどは、これら雑誌に費やしていたと思う。
雑誌の記事からアマチュア無線の存在は知っていた。そして、電話級は講習会か国家試験で取ることも。
講習会は万単位の費用がかかりとてもじゃないけど無理。取るなら国家試験しかない。
完マルを買ってきて何度も読む。電子回路はある程度読めたのでドンドン詰め込んだ。その期間2週間。
申請書の写真は近所の写真館で撮ってもらった。しっかりした白黒プリント。今でもそれは色あせていない。
そして夏休みのある日、江間忠ビルへ。
合否通知のはがきが待ち遠しい。
しばらくして「合格」の2文字のハガキが届く。
一発合格、うれしかった。
すぐに従免申請をする。
たしか、このとき医師の診断書が必要だった気がする。
近所のかかりつけ医院で診断書を書いてもらったと思う。
※のちに、これがきっかけとなるエピソードに繋がる
1ヶ月ほどで従免が到着。
緑色の表紙で二つ折り。
写真には郵政省の刻印。
すぐに局面申請。
実は、ほしいRIGは決まっていたが手元には無かった。そうそう買えるわけ無い。(本当はRIGナシ申請はダメよ)
この当時は全てJARLの保証認定を通す必要があった。しばらくして保証通知が届く。そこには「現状報告書」という紙がが入っていた。電波障害は起きていないか、アンテナは安全に取り付けられているか、等々・・・ そしてRIGのシリアル番号を記入する欄があった。まずい・・・ RIGは手元に無い。
RIGの購入予定だったお店で相談すると、「無視して大丈夫」とのお言葉。
半信半疑のまま従う。
秋も終わり冬の気配を感じる12月中旬、局面が届く。待ちに待ったコールサインはJQ1BWT。「おしぃ! ラストレターがHだったらばっちりなのに」とは、親父の弁。
しかし、すぐに電波を出せるわけではない。
設備が無いのだ。
当時は高校生でアルバイトというのは普通ではなかった。メジャーどこ(マクドナルドとか)を毎日やるのは難しく、冬休みを使って郵便局の配達をやることにした。そう、年賀状のアルバイト。
休みは日曜、そして1/2のみ。
朝早くから自転車で郵便物を配る。
日によって配達量に差があるので、早く終わったときは局に戻って仕分け作業(これは女子ばかり)を手伝う。
配達区域は自宅周辺になる。地理感もあり、昼食を自宅で取れるからだろう。でも、これはアリガタ迷惑だった。局周辺の地理の方が実は詳しかった。引越し前の遊びの庭だったから。
そのときの自宅は郵便局から一番遠い端っこだった。自転車で局まで行って、郵便物満載の赤い自転車で戻る。片道数km、結構な距離走ったんじゃないかな? 電車で数駅分ありましたから。
冬休み返上でかせいだ数万円。
正月明けにハムショップへ行ってFT690を買った。アンテナまでは手が出ず単体。
雪の降る寒い夜。アパートのベランダに出てロッドアンテナを伸ばす。
この日は何も聞こえなかった。
翌日の日曜。
部屋でいじっているとCQが聞こえた。
震える声で呼ぶと応答アリ。
QSL交換を約束したが、JARLに入会したのは半年後だった。(お金が無い)
会員外で廃棄されてしまったのだろうか? カードは入会後も来なかった。
日曜の午後、超強力なCQを発見。
室内でロッド伸ばしただけでメーター振り切れ。近所だった。
というか、近所なんてものじゃない。診断書を書いてもらった開業医の息子さんだった。
家との距離は歩いて1分。確かにアンテナが上がっていた記憶がよみがえってきた。
QSOもそこそこに、「遊びにおいで」のお誘いにお邪魔することに。
ここから、私にとってHAMの先生になるJQ1CHHとのお付き合いが始まった。コールは私より後だけど、実際の運用キャリアは先にスタートしていたので先輩なのです(コールはあってもRIGナシだったから)。年も少し上のアニキ的な存在。HAMだけでなく、車好きなところもしっかり影響を受け、今に至っている自分がいる。
高校生時代は自転車にFT-690を乗せて、近所の中学生軍団と共に走り回っていた。
いくつかのグループと付き合いながら楽しんでいて、その1つのグループ(横浜ウエーブアマチュア無線クラブ)のメンバーと、先日のハムフェアで20ウン年ぶりの再会をしました。お互いあまり話さなかったので記憶は薄いけど、存在はしっかりと認識していた、そんな間柄だった。
彼も私も、しっかり中年でした。Hi
6m SSBを自作を取り混ぜながら楽しみ、TNC-20でパケットに手を出してマイクを握らなくなり・・・
受験でしばらくはQRT状態になったり・・・
違うことに興味が出て無線はコールサインのみ維持の状態になったり・・・
そして今。
何を思ったのか、2年前に3アマ、去年は1アマ。
また無線への情熱が再燃しているようだ。
気が付けば42歳になってしまった。
ふと、20数年前の出来事を思い出したので書いてみよう。
それは高校1年の夏。ひょんなことからアマチュア無線の免許を取ってみたくなった。
無線をやりたくてとるのではなく、免許を取ってみたかったのだ。
以前より電子工作が好きだったので、初ラやラ製はよく読んでいた。小遣いのほとんどは、これら雑誌に費やしていたと思う。
雑誌の記事からアマチュア無線の存在は知っていた。そして、電話級は講習会か国家試験で取ることも。
講習会は万単位の費用がかかりとてもじゃないけど無理。取るなら国家試験しかない。
完マルを買ってきて何度も読む。電子回路はある程度読めたのでドンドン詰め込んだ。その期間2週間。
申請書の写真は近所の写真館で撮ってもらった。しっかりした白黒プリント。今でもそれは色あせていない。
そして夏休みのある日、江間忠ビルへ。
合否通知のはがきが待ち遠しい。
しばらくして「合格」の2文字のハガキが届く。
一発合格、うれしかった。
すぐに従免申請をする。
たしか、このとき医師の診断書が必要だった気がする。
近所のかかりつけ医院で診断書を書いてもらったと思う。
※のちに、これがきっかけとなるエピソードに繋がる
1ヶ月ほどで従免が到着。
緑色の表紙で二つ折り。
写真には郵政省の刻印。
すぐに局面申請。
実は、ほしいRIGは決まっていたが手元には無かった。そうそう買えるわけ無い。(本当はRIGナシ申請はダメよ)
この当時は全てJARLの保証認定を通す必要があった。しばらくして保証通知が届く。そこには「現状報告書」という紙がが入っていた。電波障害は起きていないか、アンテナは安全に取り付けられているか、等々・・・ そしてRIGのシリアル番号を記入する欄があった。まずい・・・ RIGは手元に無い。
RIGの購入予定だったお店で相談すると、「無視して大丈夫」とのお言葉。
半信半疑のまま従う。
秋も終わり冬の気配を感じる12月中旬、局面が届く。待ちに待ったコールサインはJQ1BWT。「おしぃ! ラストレターがHだったらばっちりなのに」とは、親父の弁。
しかし、すぐに電波を出せるわけではない。
設備が無いのだ。
当時は高校生でアルバイトというのは普通ではなかった。メジャーどこ(マクドナルドとか)を毎日やるのは難しく、冬休みを使って郵便局の配達をやることにした。そう、年賀状のアルバイト。
休みは日曜、そして1/2のみ。
朝早くから自転車で郵便物を配る。
日によって配達量に差があるので、早く終わったときは局に戻って仕分け作業(これは女子ばかり)を手伝う。
配達区域は自宅周辺になる。地理感もあり、昼食を自宅で取れるからだろう。でも、これはアリガタ迷惑だった。局周辺の地理の方が実は詳しかった。引越し前の遊びの庭だったから。
そのときの自宅は郵便局から一番遠い端っこだった。自転車で局まで行って、郵便物満載の赤い自転車で戻る。片道数km、結構な距離走ったんじゃないかな? 電車で数駅分ありましたから。
冬休み返上でかせいだ数万円。
正月明けにハムショップへ行ってFT690を買った。アンテナまでは手が出ず単体。
雪の降る寒い夜。アパートのベランダに出てロッドアンテナを伸ばす。
この日は何も聞こえなかった。
翌日の日曜。
部屋でいじっているとCQが聞こえた。
震える声で呼ぶと応答アリ。
QSL交換を約束したが、JARLに入会したのは半年後だった。(お金が無い)
会員外で廃棄されてしまったのだろうか? カードは入会後も来なかった。
日曜の午後、超強力なCQを発見。
室内でロッド伸ばしただけでメーター振り切れ。近所だった。
というか、近所なんてものじゃない。診断書を書いてもらった開業医の息子さんだった。
家との距離は歩いて1分。確かにアンテナが上がっていた記憶がよみがえってきた。
QSOもそこそこに、「遊びにおいで」のお誘いにお邪魔することに。
ここから、私にとってHAMの先生になるJQ1CHHとのお付き合いが始まった。コールは私より後だけど、実際の運用キャリアは先にスタートしていたので先輩なのです(コールはあってもRIGナシだったから)。年も少し上のアニキ的な存在。HAMだけでなく、車好きなところもしっかり影響を受け、今に至っている自分がいる。
高校生時代は自転車にFT-690を乗せて、近所の中学生軍団と共に走り回っていた。
いくつかのグループと付き合いながら楽しんでいて、その1つのグループ(横浜ウエーブアマチュア無線クラブ)のメンバーと、先日のハムフェアで20ウン年ぶりの再会をしました。お互いあまり話さなかったので記憶は薄いけど、存在はしっかりと認識していた、そんな間柄だった。
彼も私も、しっかり中年でした。Hi
6m SSBを自作を取り混ぜながら楽しみ、TNC-20でパケットに手を出してマイクを握らなくなり・・・
受験でしばらくはQRT状態になったり・・・
違うことに興味が出て無線はコールサインのみ維持の状態になったり・・・
そして今。
何を思ったのか、2年前に3アマ、去年は1アマ。
また無線への情熱が再燃しているようだ。
ronさんともども、おめでとうございます。
あと4サイクル、5サイクルもあるなんて、うらやましい。
by Masumi (2009-08-25 11:13)
Happy Birthday, Jun san.
by JJ8KGZ (2009-08-25 13:03)
↑↑↑今夜の楽しみにしておいたのに~(笑)
TKS MY FRIENDS!
by sawada (2009-08-25 13:14)
こんにちは。私も今年42歳。同級生ですね。
私は今年3アマでデビューし直しました(コールは昔と変わらず)。
10数年ぶりのHFに戸惑いながら、楽しんでます。
自分と同じような経緯で懐かしく拝見させて頂きました。
ちなみに私は郵便配達のバイトで、LS-20Xを買いました。
どこかのバンドでお会いできましたら、宜しくお願い致します。
by FXQ (2009-08-25 17:59)
LS-20X持っていましたよ。ベルコムですね。
あの受令機のようなスタイルだったかと。
どこかでお会いできると良いですね。
by sawada (2009-08-25 18:09)
Dr Jun san , Happy Birthday!
Mni tnx eye Ball QSO fer the 1st time.
Hpe cu on the Air soon.
by まさG (2009-08-25 18:41)
Happy Birthday!!
入り口はひとそれぞれだけど、無線で繋がったOMさんたち
みんなとの交流が宝物ですよね(^^)
QRT期間があるとはいえ、20年ってあっという間でしょ。
でも中身はたくさんつまっている感じ。
しかしながら1発合格はスゴイ!!
by みはる☆ (2009-08-25 22:25)
小学3年生ぐらい(昭和53年頃)免許を取りたく小遣いためて、法令集を買った、でも難しくて何となく読んでいるだけだった。法令は解っても、電気回路が全然解らなかった。無理もない学校の理科じゃそんな事教えてくらなかった、時が経ち、同級生に数人免許を持ている人がいた、話は合うのだが、合法的に電波が出せない、いろいろ教わったが、免許取るまで行かなかった。あれから26年それぞれ薄くなった所や太くなった所はあるが、
50前に再度、チャレンジしてみたいですね。
やっぱ、若いうちに免許取っておくべきだった。
だって、従免、若いままでしょ?
車の免許なら絶対別人だもん。(50K台が現在80k)
写真帽子かぶってたっけ?
では、
お誕生日おめでとうございます。
おいらはまだ、41歳さー
by R.SHIMIZU (2009-08-26 00:34)
おめでとーございます。ちょっと先に昇格なさいましたね。
ワタシももうすぐです。トホホホホ
by HOZ (2009-08-26 08:17)
お誕生日おめでとうございます。
私も、夏休みに江間忠ビルへ行きましたよ。その時は、即日合格発表がありましたので、その場で従免の申請をしたような。診断書も不要でしたよ。
江間忠ビルという名前で、遠い過去の記憶がよみがえりました。
by WPJ (2009-08-26 09:33)
お誕生日おめでとうございます。
無線に入ったきっかけは人それぞれですね。HI
私は蒲田の専門学校に試験を受けに行きました。(4アマ)
年2回の時です。
私の開局のリグは、TR-1300でしたね。
by JK1TCV/Kazu (2009-08-26 10:22)
少々コメントが遅くなってしまいましたが、
お誕生日おめでとうございます。
そして、微笑ましいお話しをありがとうございました。
また機会があれば、昔話を聞かせて(読ませて?)下さい。
by JG2GSY (2009-08-29 00:54)
こんにちは!! 自分は1961年生まれですが、高校の頃2アマまでいって、大学出る頃にQRT、何を思ったか10年位前に復活して、おととし1アマ、というわけでなんだか似ているようで反応してしまいました。自分は無線の復活きっかけで山や自転車に目覚めました。無線バンザイ!!です。
お誕生日おめでとうございます!!
by JA1CIR (2009-09-01 16:33)